A:迷夢の水霊 ルサルカ
ユールモアの廃船街には、大型船がいくつも転がってるが、黒風海の海底にも、似た船が沈んでいるのを見たかもしれないな。あの海域は水上交通の要所だったが、そのぶん海難事故も多かった。洋の東西を渡る商船や、貴人を乗せた船が何度も沈んだ。とある国の王妃が命を落とし、その魂が転じたと伝えられるのが、深海へと道連れを誘う悪霊……「ルサルカ」だよ。
美しい姿と深海に響く甘い声で、船乗りを引き寄せ、海底深くに引きずり込むと噂されるが、最近は船も少ないからな。きっと、獲物に餓えて、手当たり次第に狩りをしていると思うぜ。
~ナッツ・クランの手配書より
https://gyazo.com/90a7e8b0ed75d88d574b7a335ea1ba3a
ショートショートエオルゼア冒険譚
大丈夫…この船は特別大きな船だから沈没したりはしない。
さっきからなんど唱えたかもわからない慰めの言葉を、声を出して唱えてみる。だが唱え終わらないうちにまた大きな揺れが来て慰めの言葉はまたストップしてしまう。
女性はベッドの天蓋を支える柱の方に移動してそのまま柱にしがみ付いて恐怖に竦んでいた。
どうしてこんなことに…。
考えてみたが何も思い当たらない。それはそうだ。彼女が自発的にした行動なんて一つもない。すべて両親や大臣や役人の決めるままに、言われるがまま、感情のない人形のようにただ生かされてきた。
彼女は大陸の黒風海に面した小国の王女だ。物心がついたころからどこへ出しても恥ずかしくないよう、立ち振る舞いやマナー、言葉遣いや作法を毎日起きてから寝るまで仕込まれた。10歳を超えるとそれに習い事が加わった。朝は6時から夜は22時まで休む暇なく詰め込まれた。小国の姫が大国の王族相手に舐められないよう生活から習慣、知識までどの分野も人並み以上でなくてはならない。何一つ楽しいことなど経験したことなどなかった。そして17歳になり、ある日突然告げられた。明日、黒風海を渡って、嫁入りせよと。完全な政略結婚だった。そして彼女は船上の人となったのだ。そしてその船が今まさに大時化の海に木の葉のように翻弄されている。自分の思い通りになることなどこの世には一つ足りともないのだ。後悔できることすら幸せなことだと本気で思える人生だ。
その時だった、今まで聞いたことがないような轟音と衝撃を感じた。床に投げ出された彼女は床に叩きつけられた痛みに堪えながら体を起こした。遠くで沢山の悲鳴が聞こえる。じわじわと、だが体で感じ取れるほどの速度で床が斜めになっていくのが分かる。
ああ…、沈むのね。
さっきまでの恐怖とは裏腹に、冷静に現実を受け止める自分がいた。彼女は首をうなだれた。この部屋にも海水が入り始めすでに足首まで海水に浸かっていた。
「うふふふ…」
彼女は肩を震わせたかと思うと顔をあげて大声で笑い始めた。
「あははははは、なんなの、私の人生って?」
お腹を抱えて、涙を流して彼女は笑う。
「楽しい?それどんな感じなの?恋?それってどんなもの?女として産まれた幸せ?マナーや作法は知ってるわ。でも人が当たり前に知ってることを知らずに私は死んでいくの?滑稽だわ。あはははは」
彼女は焦点の合わない血走った目から滂沱の涙を流しながら、天を仰ぎ声を上げて笑い続けた。彼女の自分に向けられた嘲笑は部屋が海水で満たされるまで響いていた。
ユールモアのテラスにあるカフェで光の氾濫に呑まれ自分のルーツである地を失ったのだという老人と出会った。老人は小綺麗な服を着ていて品があり、その立ち振る舞いからそれなりの階級の生まれであることはすぐに分かった。
「私の家系はこの黒風海を渡ったところにあった小国の王族です。祖父の妹は政略結婚のためにこの海を渡ろうとして行方不明になりました。」
「じゃぁ、あなたのお爺さんは王様?」
あたしが驚いて聞くと老人は悲しげな顔をして頷いた。
「ええ。ですが祖父が妹を探しにノルヴラントに渡った直後に光の氾濫が起こり、祖父は国を失ったのです。ですから、王と言えるのかどうか…。帰る場所を失った祖父はその後もこの地で妹を探しました。」
「結局、妹さんは見つかったの?」
老人はあたしの目を見て微笑みながら頷いた。
「ええ、見つかった…というか、居場所は分かりました。会う事は叶わないが…」
そういうと老人はテラスから少し海を見下ろして続けた。
「廃船街はご存知でしょう?ユールモアの外周にある船の墓場です。この海の底にも同じように沢山の船が沈んでいる。この海域は航海の要所でありながら世界屈指の難所としても有名だったんですよ。祖父が探し求めた妹はその海底に居ました。生きる楽しみも女性としての喜びも何も知らずに、海の藻屑となった彼女はこの世への恨みなのか、自分の人生への恨みなのか、今も海底を彷徨っています。何一つ喜びを見いだせなかった彼女の悲しみは想像を絶する」
そう言うと老人は首からロケットの付いたペンダントを外すとあたしの方に差し出した。
「妹を想い続けた祖父の遺灰が入っています。海底の彼女に届けてはくれませんか」
あたしは頷いて、そのロケットを受け取った。
「ありがとう、私では彼女のもとまでは辿り着けない。」
老人はそう言うとテラスの外の海に目をやった。
「海はこんなにも近いと言うのに、彼女のいる世界は果てしなく遠い…。」
海面が光を反射してキラキラと輝いていた。